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2019.4.23 中建日報 診断士が語る戦争を経験した橋 3回目 復興に寄与した橋 | 広島県コンクリート診断士会
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2019年4月23日 中建日報

診断士が語る戦争を経験した橋 3回目 復興に寄与した橋

2019年4月23日 中建日報

原爆と枕崎台風から復活した本川橋

 被爆橋梁以外でも復興に寄与した橋は多くありました。平和記念公園の西側の天満川にかかる本川橋は1897年に架けられた鉄製トラス橋でした。爆心地から約250mに位置しており、爆風で橋桁が移動し橋脚からはずれて部分的に落橋。また、添架していた水道管は破断し送水できなくなってしまいました。被爆直後に軍隊が板を渡して応急修理されたことで多くの避難民が渡ることができたのですが、翌月の枕崎台風で完全に落橋し、橋脚だけとなってしまいました。それでも相生橋と並んで市中心の要に位置し、復興にはなくてはならない橋とみなされたのでしょう。1949年には残された橋脚上に、いち早くトラス桁が架け直されました。そして、このトラス材は山口県光市にあった旧海軍光工廠の建屋に使用されていた鉄骨でした。終戦直後で建設資材は極端に不足しており、復興計画を進める中で再利用を思いついた設計者がいたものと思います。原爆死没者慰霊碑、平和大橋の建設が52年、広島平和資料館開館は55年のことですから、いかに早く再建が図られたかがわかります。
 橋には「昭和24年廣島懸建造二等橋」と書かれた銘板が取り付けられており、よく見るとトラス部材のいたるところに使用されていない小さな穴や傷が見られます。これが以前は建物の部材として利用されていたことの証です。

橋として第2の人生 九十九(つくも)橋

 広島市安芸区と海田町の間を流れる瀬野川に架けられた九十九橋も呉市方面からの復興支援に寄与した橋です。枕崎台風で先代が流失した後、50年に本川橋と同じく旧海軍光工廠の鉄骨を使用して再建されました。本川橋の翌年の再建ですから、これに倣って鋼材のリサイクル利用が推進されたのかもしれません。
 それまでも古い橋をそのまま移転させ、再利用してきた例は全国各地にありました。長崎市内に架かる出島橋は、同じ長崎市に1890年に架けられた新川口橋を1910年に移設したものです。この橋は交通量の多い町中心部にありながら 現在国内で最も古い現役の鉄製道路橋となっています。
 広島県三次市の祝橋も20年に太田川の太田川橋梁として架けられていたものを、57年に移設した橋です。ほかにも廃線となった鉄道レールを利用して作られた小橋梁は全国にありますが、このように本格的なトラス橋として利用されている例は珍しいと思います。
 隣接して架けられた歩道橋から注意深くこのトラス材を見てみると、戦争の傷跡でしょうか、建築鉄骨の穴とは違った傷跡を見つけることができます。




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