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2019.4.26 中建日報 診断士が語る戦争を経験した橋 4回目 戦争へ突入することになった橋 | 広島県コンクリート診断士会
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2019年4月26日 中建日報

診断士が語る戦争を経験した橋 4回目 戦争へ突入することになった橋

2019年4月26日 中建日報

日本軍と戦争橋

 今回から被爆橋梁から離れ、世界各地の戦争に関連した橋の話となります。
 「戦争」と「橋」を結びつけて連想することといえば、旧日本軍が起こした盧溝橋事件(1939年)が出てくる人も多いのではないでしょうか。しかし、盧溝橋とはどんな橋かというとあまり知られていないと思います。私もその一人でした。インターネットで検索すると、盧溝橋は北京市の南西約15kmの位置に1192年に建設されたということで、800年以上も前に造られた橋となります。全長267m、11連の石造りのアーチ橋で、橋の高欄にはそれぞれが異なる表情や姿をした計501基の獅子の彫像が置かれており、観光名所となっているそうです。
 では、なぜこのような立派な橋が忌まわしい戦争と結び付けられ、記憶されるようになってしまったのでしょうか。それには満州国設立(1932年)を機に中国に進駐していた日本軍が関係しています。同年、この橋の隣接地で夜間軍事演習を行っていた日本軍が誰かの放った銃撃音を聞きます。さらに演習中の日本兵1名が行方不明になったそうです。そして、不確かなままに発砲は近くに駐留していた中国軍が日本軍に向けて行ったものとされ、中国軍との衝突となり、そのまま日中戦争となってしまったのです。しかし、その後行方不明だった日本兵は何事もなく見つかりました。どうやら、当時日本軍を率いていたM連隊長が戦端を開くための口実として銃撃音を利用したというのが真実のようです。いずれにせよ、盧溝橋そのものは戦争をあずかり知らないところで、不名誉な名前として有名となってしまいました。

戦場に架ける橋 泰緬鉄道橋

 もうひとつ旧日本軍が第二次世界大戦にからんだ有名な橋があります。タイとビルマをつなぐ軍事用の鉄道:泰緬鉄道は1943年に建設されました。当時はイギリス軍がインド・インパールを拠点として中国軍を支援しており、その補給基地を破壊する目的で日本軍は「インパール作戦」を計画しました。この作戦を成功させるためにはタイからビルマへかけての陸上補給路を確保することが重要と考え、鉄道路線を突貫工事で建設したのです。当時、日本軍は米潜水艦に対する防御力に劣ったうえ、輸送船や燃料が不足しており、海上補給路確保が困難となっていました。
 建設はイギリス、オランダ、オーストラリア人などの戦争捕虜とタイ、ミャンマー人など労務者を酷使し、数万人ともいわれる死者を出して行われました。それほどまでしたにもかかわらず、引き続くインパール作戦で補給線が伸びすぎ、餓死と病死で戦死者よりも多い数万にもなる日本兵の犠牲者を出したのです。そして、この作戦を強引に押し進めたのも盧溝橋事件を指揮したM中将でした。彼はその後、作戦失敗を受けて更迭されましたが、失敗は部下の無能さのせいと責任を認めませんでした。
 泰緬鉄道は現在タイ側からビルマ国境手前までしか運行されていませんが、映画「戦場に架ける橋」で捕虜を酷使して建設された鉄道として有名となり、途中のクウェー川鉄橋は世界からの多くの見学者を集める観光地となっているというのは皮肉というべきです。

※掲載写真は筆者撮影のもの以外、主にフリー百科事典「Wikipedia」による




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